歌人・小佐野彈さんの歌集小佐野さんはセクシャルマイノリティーを公言しており、現在は台湾に在住。この歌集に収録されている「無垢な日本で」は、第六十回短歌研究新人賞を受賞しています。

 

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好きな人がいて、その人の懐に何のてらいもなく突き進んでいけたなら幸せです。とはいえ運よく恋愛が成就したとしても、そのことがが相手の幸せに繋がるとは限らず、そう簡単に一筋縄ではいかないことも往々にしてあります。

 

好きな人の幸せを願うのは当たり前のことですから、そこに葛藤が生まれます。そのことに性別は関係ありません。

 

ありませんが、異性同士なら当たり前にできることが認められていなかったりするなど、セクシャルマイノリティーという立場はやはりハンディがあるといえます。

 

「セクシャリティを認めて突き進みたい自分」と「このまま突き進むことへの戸惑いと罪悪感で認めたくない自分」・・・そんな相反するふたつの感情に常に支配されていたという彼は、短歌という鏡に出会ったことで「裸となったほんとうの自分」をさらけだせることができたのだそう。

 

そういった意味で、短歌という媒体を介して「“裸”の小佐野彈と出会える本」と言っていいかと思います。なんかちょっとイヤらしい言い方しちゃったけど「等身大」という意味でね。

 

赤鬼になりたい それもこの国の硝子を全部壊せるやうな
「最期まで父と息子になれざりしふたりを穿つ一本の棘」
水無月の雲となりたる父だからカミングアウトできる気がする
なにもかも打ち明けられてしんしんと母の瞳は雨を数へる
開かれるとき男体は爛漫の春に逆らふ器であつた
ふくらみを持たぬふたりの半裸体歪ませながら日は昇くる

 

「ほうとうの自分」というだけあって、国の社会制度や家族に対しての想いも率直だし、さらに踏み込んで大胆に性愛を詠んだ短歌もあります。

 

感染者の平均寿命淡々と告げられながら飲むスムージー
なんとまあやさしき社名きらきらと死にゆく友の服むアステラス
受け容れることと理解のそのあはひ青く烈しく川は流れる

 

「好き」だけで突き進んでいけるほど現実というのは単純ではないことを身を持って知っているから、「好き」だけで突き進むことへの戸惑いと罪悪感をずっと抱えながら生きてきて、それを短歌という媒体にそれをぶつけているのが小佐野さんなのなのだろうと自分なりに解釈しました。

 

・・・ただね。

 

語られていることは大胆で明け透けなのに、短歌という鏡に映しだされているはずの「小佐野彈」という人物像は「明け透けていない」ように感じるのはどういうわけなんだろう。・・・と思ったのですが、それはきっと旧かなづかいのせいなのかもしれません。

 

是か非かは別として、口語なのに旧かなづかいというちょっとした違和感が、頭の中に文字がスッと入り込むのを拒絶させているのです。そこに親しみやすさととっつきにくさという相反するものを感じるのですが、作者の意図はともかく「理解してほしい」と「簡単に理解されてたまるか」という複雑な想いが交差しているようにも見えます。それも持ち味なのでしょうね。

 

とはいえ、「メタリック」というタイトルや作品のカラーなどを鑑みて、自分なら旧かなづかいは使わないかな。

 

 

相手への恋慕というよりは、その先のもう少し踏み込んだ部分にある情念を掘り下げていて、惚れた腫れただけではない重みのある一冊でした。

 

 

むらさきの性もてあます僕だから次は蝸牛として生まれたい 小佐野彈