ついこの間に正月を迎えたかと思っていたら、気が付けば「春分の日」なんですね。残念ながら曇っていて「あたたかき光をあびて」とはならなかったものの、窓から見た木草は風にそよいでいました。

 

実はこの一首が、心のアンテナ引っかかったは「ねむごろに」なんです。

 

というのも、亡くなった父方の祖父母と一緒に暮らしていたので、法事の時には住職さんがウチにいらしていたんです。住職さんは、お経を唱えるに前に「では、ねんごろに・・・」という言葉を必ず添えていて、そのときのことが頭に浮かぶんですよね。

 

「男女がねんごろ(親密)になる」とかそんな風に使われたりもしますが、「ねむごろ」または「ねんごろ」のもともとの意味は「丁寧」とか「心を込めて」なんですよね。子供ながらに「ねんごろに・・・」という言葉が、よほど印象深かったのだと思います。

 

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私のダンボみたいに広がっている耳は、紛れもなくおじいちゃん譲り。いつも決まった場所に座っていて、牛乳片手にパンをよく齧っていました。几帳面な人で、遺品には新聞記事をスクラップしたノートがいくつか出てきました。父によると、お酒も決まった量しか呑まなかったそうです。

 

私にとって初めて経験した身内の死であり、人が死ぬとはどういうことなのか身をもって体現してくれました。「おじいちゃんは?」「これがそうだよ」 骨だけの変わり果てた姿が祖父だと知ったときの衝撃は、いまだに忘れられません。

 

 

 

「B-29というのがあってね・・・」戦争というものを知ったのは祖母からでした。当時は「B-29」とか言われてもなんのこっちゃかわからなかったけど、とにかく爆弾がいっぱい落ちてきて焼野原になって大変だったということを、祖母の話から知りました。仏壇に向かって、熱心に経を唱えている姿を思い出します。

 

晩年には認知症を患っていたけど、あまり介抱できませんでした。・・・できなかったというより、正直に言うならば「しなかった」というほうが正しいです。祖母にとってはあまり優しい孫ではなかったかもしれません。もっともっと優しくできたはずなのにね。その想いはずっと心のどこかにあります。

 

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ねむごろに・・・。

 

記憶を辿り、たまにはこうして書き記すことで、祖父母の存在がこの世から完全に消えてしまわないように・・・。あたたかき光に包まれていますように・・・。