AIの進歩はめざましいものがありますが、そんなAIによって日々たくさんの短歌が生み出されているのをご存知でしょうか?
というわけで、今回はコンピューター(AI)による短歌の世界をご紹介していきたいと思います。
「偶然短歌」
「偶然短歌」とは、ウィキペディアにある文章から「五七五七七」となっている部分をコンピューターが抽出し、偶然できあがった短歌のことです。プログラムを開発したいなにわさんという方によって、そう名付けられました。
「偶然短歌bot」より、これを書いている時点で最新のものをピックアップしてみました。
意図的に脳への酸素供給を停止させ仮死状態になる #tanka
ウィキペディア日本語版「窒息プレイ」より https://t.co/8AUGwDAhbO— 偶然短歌bot (@g57577) 2017年8月17日
シドニーがそんな形で去られては打撃であると考えていた #tanka
ウィキペディア日本語版「シドニー・チャップリン (1885年生)」より https://t.co/pxI6of1AYS— 偶然短歌bot (@g57577) 2017年8月17日
それのある行為について指定者の事前の許可が必要となる #tanka
ウィキペディア日本語版「鳥獣保護区」より https://t.co/CsKei3oawx— 偶然短歌bot (@g57577) 2017年8月16日
中でも特に惹かれたのは↓のこの一首ですね。偶然短歌というものを知るきっかけとなった短歌でもあります。
ある道を右に曲がれば東大で、まっすぐ行けば公園なのね #tanka
ウィキペディア日本語版「マッスル北村」より https://t.co/oBstJDJLUA— 偶然短歌bot (@g57577) 2016年1月3日
こんな短歌もあります。
バック宙、高台からのバック宙、壁宙などを披露しており #tanka
ウィキペディア日本語版「東山紀之」より https://t.co/wR57A1xpmN— 偶然短歌bot (@g57577) 2017年1月9日
尚、こちらの偶然短歌をまとめたものは、書籍として販売されています。
「57577 maker」
コンピューターが介するものだと、「57577 maker」などというものもあります。
偶然短歌は、はなから「57577」になっている部分が抽出されていますが「57577 maker」では、歌詞などの一部を抜粋し「57577」になるようにプログラムされているようです。
試しにアーティスト名のところに、好きな「三代目j soul brothers」と入力してみました。
こんな感じ。
あくまでもランダムにチョイスしたものを組み合わせているだけなので意味のつながりがなされていない部分もありますが、このようにそれらしきものがちゃんとできます。
こうやってみていくと、「五七五」「五七五七七」は、自然な形で日本人のDNAの中に「五七五七七」が組み込まれているのかが実感できます。
星野しずるの犬猿短歌
この「57577 maker」の進化版ともいうべき短歌自動生成装置(犬猿)がこちら。
以前ご紹介した佐々木あらら氏によるものです。あらかじめ短歌になりそうな語彙のデーターベースの中から、コンピーターがそれを「五七五七七」になるようにランダムに選び出すというシステムは「57577 maker」と同じです。
これによって生み出された短歌は「星野しずる」という架空の歌人によるものという設定になっています。
63613:ありふれた奇妙な猫のゆりかごをおそれて黒い大地でしょうか (星野しずる) http://t.co/RrcRYVxBzs /Pulse!d by (^–^#)
— 星野しずる (@Sizzlitter) 2014年2月15日
元となる語彙をデーターベース化すれば、それらを切り取ったり組み合わることによってそれらしきものはあっという間にできあがり。しかもその語彙のデーターはいくらでも蓄積可能でバリエーションはそれこそ無限大。
意外な言葉同士の化学反応を楽しむ一種の言葉遊びのような短歌を、お笑いの「面雀」にちなんで「面雀短歌」と呼ばれたりしていますが、こういった詩的飛躍に満ちたものはまさにAIが得意とする分野であり、時に人間にはなかなか思い浮かばないような創造性あふれる魅力的な作品ができあがったりもします。
う~む、AI、恐るべし。
あにゆる業種がAIにとって変わられるというのは近年言われていることですがそれは創作という部分においてもどうやら例外ではないようです。
文章だってこんな感じで、本人以外じゃなくたって、第三者の手によって〇〇風なものが作れちゃったりするわけですからね。
となれば、そんなAIに生身の人間が果たして太刀打ちできるのか?そんな疑問も出てきたりもします。
佐々木あらら氏は、そのことについてこちらのサイトでこう述べています。
私はしずるがつくるような短歌がけっして嫌いではないですが、こんな短歌なら、人間がつくらず、犬や猿につくらせたほうがずっと楽しい。読み手の鑑賞力がある程度高いと、こんな簡単な仕組みでも、おもしろがれる短歌はつくれてしまいます。人間のつくる短歌はこんなものに負ける程度の志で挑んではいけないと私は思う。しずるとは別のところ、あるいはしずるを超えてもっと高いところに、きっと、素晴らしく魅力的な短歌がある。私はそういう短歌が読みたい。そう願っています
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ナビによって地図が詠めなくなったり、携帯やスマホの登録機能によって電話番号を覚えなくなったり。漢字だって覚えずともキーをたたけば変換してくれる。
技術の発展によって、日常生活で記憶したり脳を働かせる場面はぐんぐん減っています。これってあんまり良くはないんだろうなぁと思いつつ、すっかり頼り切ってしまっている今日このごろ。
そんな感じで、創作の分野でも頭を悩ませるよりもAIの力に頼ってきているのだとしたら、ちょっと怖い気もします。
テクノロジーとは、適度なところで折り合いをつけて上手融合していくしかないかもしれないですけど、コントロールする主体はあくまでも自分自身ですべてを委ねるようなやり方はしたくないなと思います。