短歌を詠むときに心掛けていることはいくつもありますが、いい作品を生むために絶対に外せないと思うのが“誠実”であるということです。ここでいう“誠実”というのは、無理やり言葉尻を合わせただけで投げ出したり終わらせたりしないというもの。洗練されるまでの手間を惜しまないということです。
形が整う前の“短歌らしきもの”というのは、割と簡単にできる。ただし、それは単に言葉を並べて57577に近づけただけのおよそ短歌とは呼べない代物。膨大な時間をかけて“短歌らしきもの”ができても、その大半は使い物にならない。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) 2018年3月16日
もちろん、意図的にリズムを崩して滞空時間を長くさせようとする手段もあるけど、言葉を厳選したうえなのかそうでないのかというのは大きな差がある。つまりどんな形式を選ぼうと洗練されていることが大事。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) 2018年3月16日
添削コーナーなんかで、視点が面白かったりすごくいいものを持っているのに、リズムや言葉選びが中途半端なせいで良さを生かしきれていないという旨の評をよく見る。つまりこれは、その一首にかける手間のかけかたが足りていなかったということだと思う。
—朝倉冴希@短歌 (@dassan34) 2018年3月16日
もちろん最初からある程度できあがっている場合もありますが、そうとばかりは限りません。むしろ最初にできたものの大半は磨がかなければどうにもならないものだったり、磨いたところで光りもしないものばかりだったりします。
なので、リズムや言葉選びなどをこれ以上ないところまで突き詰めて“研磨”する必要があるということです。だからといって時間をかければいいというものではなく、手間のかけ方が足りないというのは、そこに到達するまで磨かれていない、磨き方が甘かったということです。
具体的なノウハウやテクニックを学ぶのも大事ですが、これ以上ないところまで突き詰めて“研磨”していくということを徹底的に心掛けたほうが数段良いものが作れると思うのです。