写真は、昨日の夕方に撮った虹です。夕飯の支度をしていると、オレンジに染まった西日が射してこんできて、思わず手を止めました。夕日に映えた山肌がとても綺麗だったので窓に近づいたら、虹が架かっていました。
このところ虹の画像をちょくちょく見かけていて、そのうち見られるといいなぁと思っていたんですよね。雨が降ったり止んだりしていて、ひょっとして虹が出るかもと淡い期待を寄せても見かけることはほぼないのですが、思いがけないところで出会いました。虹はすぐに消えてしまいましたが、花と同じでだからこそ美しいのかもしれません。
誰わが恋は虹にもまして美しきいなづまとこそ似むと願ひむ 与謝野晶子
私の恋は虹よりも美しく、稲妻に似た(激しい)ものであってほしいと願います。
与謝野晶子の恋慕う与謝野鉄幹への一途な想いは、それこそ稲妻のような激しさであったことは有名なところです。何が何でもこの人を手に入れたいと略奪愛を貫いた晶子の生き方は、当時であれば尚さら多くの反感を買い、辛酸を嘗めてきただろうなと想像します。
晶子にとって「虹にもまして美しき恋」とは何なのか。ただただ相手のことだけを思いやるのが純愛であり、それが虹にもまして美しき恋というのなら、潔く身を引くことを選んだのかもしれません。道外れた恋を貫くことは決して容易なことではなく、結果的に相手を不幸へと引きずり込んでしまうことはよくある話です。
それでも茨の道を進み、鉄幹のもとへ走った晶子にとっての「虹にもまして美しき恋」はそれとは別のところにあり、何があっても揺るがずに愛し抜くという覚悟だと思うんです。
世相だとか立場とかそういうものに縛られることなく、ただただ好きという本能の赴くままま、惚れた男のために身も心も捧げた人生。その方向性が正しいか間違っているか、不倫うんぬんは抜きにして、生半可ではないその覚悟と純真さは、七色に輝く虹にもまして美しく思えます。