もぢずり(文知摺)とは、石の上に布をあててその上から忍草の汁を擦りつける染めの手法のことをいいます。現在の福島県信夫地方で行われていました。

 

一説によれば光源氏のモデルともいわれる中納言・源融。源融は、陸奥国按察使として福島に赴任していました。あるとき彼は道に迷ってしまい、村長のところで厄介になるのですが、その村長の娘である虎女と恋仲になりました。しかし、都へ戻らないといけなくなった源融は、再会を約束して虎女の元を去っていきます。

 

文知摺観音に願掛けし、鏡石とも呼ばれる文知摺石を麦草で磨き続けながら、ひたすら源融との再会を待ちわびる虎女。しかし文ひとつないまま一向にその日は来ず、そんな失意の中で一瞬だけ文知摺石に源融の面影を見るのです。ですがそれも束の間、そこで精根尽きた虎女はとうとう病に伏せてしまいます。源融からの文がようやく届いたのは、虎女が亡くなる間際のことでした。

 

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣 (源融)
みちのくのもちずりのように心乱れるのは一体誰のせいなのでしょう。私ではありませんよ。

 

この文知摺石にまつわる伝説が広まると、麦草で文知摺石を磨くと好きな人の顔が映るとの噂され、辺りの麦草を引き千切っていく人が続出。これに怒った村人が文知摺石を谷へ突き落としてしまったのだとか。それが本当かどうかはわかりませんが、石はひっくりかえったままの半分埋もれ、石の表面が鏡状ではなくザラザラしているのもそのためだともいわれてます。

 

 

文知摺観音を訪れたときの松尾芭蕉の句↓

早苗とる手もとや昔しのぶ摺 松尾芭蕉
早苗を植える手つきを見ていると、昔のしのぶ摺(もちずり)を彷彿とさせて偲ばれる