「土用の丑の日」ということで、万葉集からこんな和歌。
石麻呂(いしまろ)に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕りめせ 大伴家持
石麻呂に言いたいことがあるんだかね。 夏痩せには鰻がいいというから、鰻でも捕って食べたらどうだい。
痩す痩すも生(い)けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな 大伴家持
でもまぁ、痩せるからって生きてこそのものだからねぇ。鰻を捕りに行ってそのまま川に流されるなよ(笑)
「夏痩せには鰻がいいっていうから捕って食べたらどうだい。でもだからといって、鰻を捕りに行ったまま川に流されるなよ(笑)」・・・と、ガリガリに痩せていた親友・石麻呂を、大伴家持がからかったもの。尚、石麻呂というのはあだ名。本名は吉田連老(よしだのむらじおゆ)で、吉田老(よしだのおゆ)とも呼ばれていました。
鰻といえば蒲焼き。現代では当たり前のようになっていますが、身を開いて串に刺すようになったのは江戸時代の中期以降から。それ以前の鰻の食べ方といえば、丸ごとだったりぶつ切りにしたものが主流。それを串に刺して焼いたりしたものを、味噌とかつけて食べていたのが当時のスタイルでした。
ぶつ切り鰻を串刺しにして焼いたもの (こう書くとなんだか物騒(^^;)) が、「蒲(がま)」という植物の穂先に似ていることから「蒲焼き」と呼ばれるようになったのです。