私だと舌打ちはただの舌打ちになっちゃうんだけど、中にはさらっとユーモアを交えて嫌味のないようにもっていく人もいるんですよね。舌打ちをしたくなるような状況でも、そうやって上手に切り抜けられるようになれたらどんなにいいだろう・・・と、思ったりします。

 

厄介なことを持ち込まれたりすると、思わず舌打ちしそうになっちゃうときもあったりするんですよ。さすがに面と向かって露骨にやることはないけど、誰もいないところでこっそり感情を吐き出したりも何回かありました。それこそ舌打ちも。感情をコントロールするのがとにかくヘタだったんです。

 

少しずつ感情を上手に逃がすことも覚えた今は、そういうことはしなくなったんですけど、やさしい手品の使い手になれたらもっともっと優しくて強い自分でいられるのにと思います。

 

多少の揺れや衝撃にも動じない広い器の自分になりたくて、でもなれない自分がいて・・・。なんでもっと優しくなれないんだろう、なんでもっと強くなれないんだろうと自己嫌悪に陥ってばかりいたあのころ。というか、今でもそういうときはあるんだけど。

 

でもそんなときに、こうして自分を表現できる場所があることで救われています。

 

 

「やさしい手品」の「やさしい」があることによって、「マッチに火が灯るような」という比喩の意味が大きく変わってくるというのが、この短歌の面白いところ。「やさしい」がなかったら、真逆の恨み節としても解釈できなくもないよね・・・。

 

・・・最初にそう考えたのは、“やさしい手品”が明るい方向へ導くものとして捉えたからでした。でも読めば読むほど、果たしてそれだけなのだろうかと疑問が擡げるようになりました。

 

その真意を紐解こうともっともっと深読みしていけば、炎上させるところまではしないけどマッチの火ぐらいの制裁は加えたいという、人間らしい少しドロドロした感情も込められているような気がしてならないのです。それはやっぱり自分の経験が関係しているのかな。

 

あえて炎上させずマッチの火にとどめておく“やさしさ”を持っている人こそ、個人的には最も怒らせたくないタイプかも。(;^ω^) いろんな意味でね。