マリー・アントワネットは、オーストリアのハプスブルク家の11女に生まれ、フランス国王ルイ16世の王妃として知られています。彼女は、フランス王室と貴族社会を象徴する人物となりましたが、激化するフランス革命により、最終的にはギロチンによって処刑されました。

 

よく知られている「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」の由来は、マリー・アントワネットではなく、ジャン=ジャック・ルソーの著書『告白』に登場する逸話による可能性が高いです。ある日、ルソーはパンとワインを楽しみたいと思ったもの、手元にパンがありませんでした。どうしてもパンと一緒に飲みたかった彼ですが、紳士である自分がパン屋に行くのは気が引け、使用人に頼むこともできませんでした。実はそのワイン、家庭教師をしていた家からこっそり持ち出したもので、頼めばそれが露見してしまうかもしれないからです。どうしようかと考えてた彼は、ふと、どこか高貴な妃(王女)が「農民にはパンがありません」と言われ、「ブリオッシュを食べればいい」と答えたという逸話を思い出しました。そして彼もその言葉に倣い、ブリオッシュを手に取り、ワインを飲み始めました。

 

政略結婚のために、わずか14歳で異国の地に渡り、波乱万丈の生涯をどのような想いで過ごしていたのか。煌びやかな贅沢とは裏腹に、政治的緊張の中で様々な重圧にさらされる中での民衆からの激しい敵意と攻撃。想像することすら難しいですが、「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」のように、誤解を受けることもあったのかもしれません。断頭台での情景を想像すると、彼女は自らの運命を受け入れざるを得ませんでした。想像を絶する恐怖や悲しみ、そして孤独感が渦巻いていたことでしょう。と同時に、ようやく苦痛から逃れ、平和と自由を手に入れることができたのかもしれません。

 

歴史に刻まれた劇的な一幕は、2024年のパリオリンピックの開会式でも劇的に再現され、大きな話題となりました。自分の頭部を抱えながら、「Ah! Ça Ira (きっとうまくいく)」を歌うマリー・アントワネット。「Ah! Ça Ira (きっとうまくいく)」は、もちろんオリンピックのことを指しているのでしょうが、フランス革命の象徴的な歌である「Ah! Ça Ira 」は、彼女にとっては脅威と絶望の権化でもあります。特にサン・キュロット版の歌詞には「貴族の子を街灯へ! 貴族の子を縛り首にしろ!」という過激な言葉が含まれています。 彼女の運命と革命の激動が再び注目され、その一端を垣間見ることができた演出でしたが、もし彼女がその場にいたならどのような心境だったでしょうか。オリンピックという平和の祭典に、鳩が飛び立つのが見えたのでしょうか。

 

残念ながらその後も、世界のあちこちで紛争が絶えません。いつの日か平和が訪れる日が来るのでしょうか。マリーマリーと問いかけても、彼女には皮肉にしか聞こえないのかもしれません。しかし、もし彼女が心の底から「Ah! Ça Ira (きっとうまくいく)」と微笑む日が来るとしたら、どれほど素晴らしいことか。そんな日が訪れることを心から願います。

 

10月16日の今日は、マリー・アントワネットの命日。1793年、37歳という若さでその生涯を閉じました。