夏という季節の中で、何気なく掴んだ手すりの冷たさにハッとさせられたのでしょうか。その違和感を「骨」と形容することで、暑い季節にこそ強く感じられるこの違和感が際立ち、無機質で冷たい「骨」とのギャップが一層鮮明になります。
しかし、「夏の骨」という言葉に触れたとき、本当に夏の出来事を詠んでいるのだろうかと疑問が浮かびました。「骨」は、夏の暑さが過ぎ去った後の残骸のように感じられ、夏の名残や過ぎ去った季節の痕跡が漂っているように思えました。肉体が失われた後、最後に残るのが「骨」だからです。暑さの中にあるはずの熱が消え、涼しさや冷たさが現れる時期、つまり初秋の感覚とも重なります。
今年は残暑が続いていて、室内にいたり日差しがあればいまだに夏の名残を感じることがあります。もうすっかり秋だというのに、少しだけ夏が頑固に残っているようで、それが「手すり」や「骨」といった無機質で硬質なものと重なり、余計に「夏の残骸」として捉えさせられたのかもしれません。